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300万年前 エルジイェス山(3916m)と ハッサン山(3268m)の巨大な噴火により、ネヴシェヒールの回りの高原は石灰華、溶岩を含んだ軟らかい石、灰、泥で覆われました。風と雨によってこの脆い岩が侵食され、赤、金、緑、グレーなど色とりどりの円錐形やキノコ型の岩、穴の空いた峡谷など壮観で現実離れした風景ができあがったのです。
ローマ時代にカッパドキアとして知られていた ギョレメ国立公園は、周辺の自然を損なうことなく人間の手の入った世界でも珍しい地域です。岩をくり貫いた住居は紀元前4,000年に作られたものです。 ビザンティン時代には教会や修道院が岩に穴を掘って作られ、その金色のフレスコが周辺の風景の色を反射しています。今日でも、円錐岩の洞窟住居と火山のトゥファでできた家は、周りの風景に違和感なくとけ込んでいます。 ユルギュップは洞窟住居が作られた岩の麓にある人気の観光名所で、カッパドキア観光の足場とするにはうってつけです。ユルギュップでは、岩の家での人々の暮らしぶりを知ることができます。 ユルギュップを過ぎて南へ行くと、人里離れた パンジャールルック渓谷に着きます。 ここにはあざやかなフレスコ画の描かれた12世紀の教会と10世紀に建てられた ケペズ教会があります。素朴な、ムスタファパシャ(シナソス)の村に入ると、曲線を描き装飾を施されたファサードが別の時代を思わせる伝統的な石の家があります。
ユルギュップの50km南のソーアンルは、数多くの礼拝堂や教会、ホール、家屋、墓地のある絵のように美しい谷です。8世紀から13世紀に描かれたフレスコ画を見ると、ビザンティンの絵画技術の歴史を知ることができます。
ユルギュップの4km北の壮観なデヴレント渓谷では、岩が風雨によって侵食され、尖塔、円錐形、方尖塔形になっており、妖精の煙突と呼ばれています。
2km西のチャタルカヤ渓谷にある妖精の煙突は、独特なキノコの形をしており、街のシンボルになっています。
ギョレメ屋外博物館は、フレスコ画で飾られた岩窟教会と礼拝堂の集まりです。ここは、トルコ中央部で最も有名な場所の一つです。 礼拝堂のほとんどが10世紀から13世紀(ビザンティンからセルジューク時代)に作られたもので、その多くに4本の柱に支えられた中央の丸天井があります。教会の北側には岩を彫って作られた墓があります。 ギョレメで一番有名な教会は、最も小さく最も新しいエルマル教会、忌まわしい蛇がとぐろを巻いたフレスコ画の印象的なユランル教会、バルバラ教会、チャルクル教会です。中心から少し離れると、新約聖書の場面を描いた美しいフレスコ画のあるトカルキリセ(バックル教会)があります。 ギョレメの街は円錐形の岩と妖精の煙突がある谷の右手にあります。ここには、岩の中に作られたカフェ、レストラン、ゲストハウスなどもあります。店では、たくさんのラグやキリムが売られています。 道に沿ってギョレメの外に出ると、この地域で最も美しい谷があります。角を曲がる度におとぎ話から飛び出てきたような形の岩が現れ、時の流れに思いを馳せながら長い間見とれてしまいます。ウチヒサール要塞のてっぺんからは、この地域全体が見渡せます。ウチヒサールの狭い通りに立ち並ぶ店には、ラグ、キリムなどの人気のある土産物が豊富に取り揃えられています。
ギョレメの北側の道沿いにあるチャヴシンには、後陣の3つある聖ジョンのバプティスト教会と修道院があります。街には、礼拝堂と教会があり、岩で作られた住居には今でも人が住んでいます。 チャヴシンからゼルヴェには、妖精の煙突が並んでいます。残念ながら、侵食によって基礎部分が削り取られているため、ゼルヴェ渓谷の教会に入ることはできません。
クズルルマック川沿いにあるアワノスは、魅力的な建物が並び、手工芸品が有名です。毎年8月に、この街では創造的で陽気な芸術観光フェスティバルが開催されます。 ここでは陶器が最も有名で、工房で陶芸を体験することもできます。織物や組み紐もまた作られるようになりました。アワノスを南に下ると、セルジューク時代の隊商宿の残るサルハンがあります。
ネヴシェヒール−ユルギュップ間の道路沿いにある、オルタヒサールと洞窟要塞も見逃せません。バルカン渓谷の教会はギョレメ地方でも最も古い時代の物です。ハルラッチ渓谷の近くには、ハルラッチ修道院が10、11世紀から谷を飾っています。 オルタヒサールの北のクズルチュクール渓谷は非常に美しく、特に夕暮れ時には息をのむような素晴らしさです。谷には9世紀のウズムリュ教会があります。
カイマクル、マズ、デリンクユ、オズコナックの地下都市は、迫害から逃れた7世紀のキリスト教徒によって使われていました。彼らはビザンティンの偶像破壊運動などの迫害を避けこの安全な隠れ家に逃げ込んだのです。これらの都市には穀物の貯蔵庫、馬小屋、寝室、台所、通気口などが完備されていました。今日では、明かりも灯され、カッパドキアツアーに欠かせない魅惑的な場所となっています。
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